当時救えなかった母を…救いたい🍀

私の母は37歳の時(私が小学校4年生)に鬱病になり、難治性で生涯にわたり病気と闘い…生きづらさを感じながら生きてきました。
当時、経営していたお店が支店を出し、母は新しいお店の運営と家事&育児。そして、弟は器械体操、私はスイミングの選手コースに毎日通いスポーツ栄養も勉強しながら毎日手の込んだ料理も作ってくれていました。

そんな頑張り屋の母がある日突然、病気で起きれなくなり…
我が家の生活は一転しました💦

母は自身の生活もままならず、やむなく支店は閉店し私達はまた浦和へ引越し、新生活を迎えました。

小6で新しい小学校に転校し1月ほど経ったある日、母の変化に気持ちがついて行けず…転校先の友達にも馴染めない状況で、授業中にふと母のことを思い出したら、思わず涙が溢れて気付けば泣いてしまっていた私。

すると、それに気付いた担任の先生が私に近付き、
「何で授業中に泣いてるの‼️」
といきなり怒られ…
今では虐待と思うけど、廊下でバケツを持って立たされてしまいました💦

何でそんなことをさせるのか❓

私は何か悪いことをしたのか❓

分からないまま…ただただ泣きながら廊下に立っていました。

今でもその時の事を思い出すと泣けてくるし、担任の先生には「どうかしたの?」と聞いて欲しかったな…と感じます💦

でも、そんな状況でも、母に話せるわけもなく。
誰にも相談も悩みも話せなかった私

今思えば、母もきっとそうだったんじゃないかなと思います🥲

そして、今私も4児の母となり、育児の壁に何度もぶつかりましたが。今も当時の母や私のように、誰にも話せず孤独に育児している人がいるかもしれない…

だからこそ、私は育児に悩む親御さんや子ども達も。親以外の誰かに話せる場や温かく見守ってくれる目が必要なんじゃないかと感じています🍀

昨日から始まった【医療と地域をつなぐみんなの居場所】クラファンはそんな社会で子育て していくための…小さな一歩です💖
想いを共感するみんなで居心地の良い場を作っていけたらと思っています😊
皆さまの温かいご支援をどうかよろしくお願い致します🙇‍♀️✨
【医療と地域をつなぐみんなの居場所づくりPJ】
https://readyfor.jp/projects/remind2023

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